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全国の地区別研究会のご紹介

Introduction of regional study groups in Japan

北海道・東北地区研究会

2021年度第2回 北海道・東北地区研究会報告

日 時:2022年1月22日(土)13:00~15:00
方 法:Zoom
講師:手塚 千鶴子 氏(元慶應義塾大学)

テーマ:「原爆をめぐる異文化コミュニケーションの可能性:日本人の心理と行動を中心に」

『原爆をめぐる日本人の語り』(文芸社)をはじめとした数々の研究成果で2021年8月に多文化間精神医学会の学会賞を授与された手塚千鶴子先生からご講演を頂いた。

始めに、ご講演内容を振り返る。中心となっているのは①1990年代初頭のエノラ・ゲイ展論争(日本では原爆展論争)における退役軍人達の怒りの役割、怒りの背景としての日米の原爆や戦争認識の違い、②アジアと日本との原爆や戦争をめぐる認識の違いを乗り越えようと日本人と日本滞在の外国の若者達が、原爆投下50周年の夏に取り組んだ多国籍原爆朗読劇『トンボが消えた日』の公演に至る、異文化コミュニケーションにおける怒り・葛藤・理解、という2つの事例分析である。

また分析の基礎として、日本人学生と留学生の作品から見る“怒り”の認識、日本の戦争を扱う作品からみた“怒り”の表現の少なさについての説明がなされ、日本人の怒りの対応、認識、その表現に大きな影響を与えていると思われる、関係性の中に自己を捉えがちな相互協調的自己観と、その対極にある米国など欧米文化により見られる相互独立的自己観、さらに対人葛藤に対しての日本人の対決回避傾向が示された。

手塚先生からの「自文化やそれぞれの国の戦争の記憶や歴史観、個人的な体験を背負って参加した人達の異文化コミュニケーションは、果たして国境や文化を超えられるか」、「原爆をめぐる文化や国境を超えた生の異文化コミュニケーションが、今日果たして可能なのか」という問いについては、各質問者の研究・バックグラウンドを背景にした深い質問が投げかけられ、手塚先生も示唆に富んだ応答をくださった。その内容の一部を紹介する。

まずは「当事者同士だけのコミュニケーションの問題」である。当事者同士では対立だけが倍加されてしまうような関係、あるいは当事者同士だからこそ踏み込むのが貯められ割れるような場面があるのでは、という議論がなされた。手塚先生からは、事例②でも第3の立場の出身者が、場の緊張を緩和させることがあった例が示され、また、言葉以外の媒介(コラージュなど)がコミュニケーションを助けたという経験もご紹介いただいた。

次に「次の世代にできる役割」である。次の世代は、当事者であるにはあるが、本当に当事者と言っていいのか、という問いかけや、どのように関わるべきかという議論がなされた。その中で、手塚先生からは前の世代は本当に“怒って”くることができたのか、その意味を考えることが次の世代にできることではないか、という考察が示された。

最後に「怒りはあるが表出されない/怒りそのものが希薄」のどちらなのか、日本人の怒りの「表出方法」への問いかけ、さらには連累(テッサ・モーリス・スズキ)概念との関連についての論点が提示された。その当時の出来事にとどまらず、その後の不正義の生産、当時の人々がやはり怒りや忍従を強いられるような社会に加担してしまっていたら、やはり次の世代にも責任があるのではないか、という考察が示された。さらに、今回のご講演では対話を試みたがとん挫した事例・怒りを対話に変えた事例両方が紹介されたが、変えられる人というのは文化を問わずそう多くないのではないか、怒りをうまく生かし、建設的な議論に変えようという点については、教育が(どちらかというと)怒りをよくないものとして扱ってきていることも関連するのではないかという議論へと発展した。

(筆者感想)

筆者はアジア研究をしている関係で、日本人としてどう考えるかと問われた経験も少なくないが、相手もどこか「この人はその世代ではないから」という、半分当事者ではないという気づかいを感じるコミュニケーションであり、怒りを含む切実さをもった問いかけはされたことがなかったため、事例②が若者同士のやり取りであった事に衝撃を受けた。“次の世代として”は筆者としても特に自問自答した部分である。

また、怒りについてこれまでは秩序に欠けた表現というイメージがあったが、ご講演から自分の納得いかない点への問い(自問自答も含め)や、相手につらさ・悲しみを感じたと表明し、繰り返さないための改善につなげるもの、という意義があることを学ばせていただいた。自分自身への問いかけとして、また、学生という次の世代につなぐ一人としてできること・すべきことがたくさんあると改めて感じた。

報告者:馬場 智子(岩手大学)