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全国の地区別研究会のご紹介

Introduction of regional study groups in Japan

関西・中部地区研究会

2011年度 関西・中部地区研究会報告

場所: 龍谷大学・大阪梅田キャンパス
〒530-0001 大阪市北区梅田2-2-2
ヒルトンプラザウエストオフィスタワー14階
TEL:06-6344-0218 FAX:06-6344-0261
テーマ:「日本社会と朝鮮学校:言語、文化継承の視点から」

話題提供者(1): 田中宏【自由人権協会代表理事】
タイトル: 「高校無償化の朝鮮学校除外に見える日本の多文化共生」 Japan’s multicultural existence seen in the exclusion of Korean ethnic high schools from the planned school tuition-free program

最初の講演は、一橋大学名誉教授である田中宏先生によって「朝鮮学校の高等学校授業料無償除外」について講演された。先生は長年、在日韓国・朝鮮人にめぐる様々な課題について運動してきた方である。その運動は現在に至り、朝鮮学校の高校無償化の朝鮮学校排除に反対の意を唱えてられている。田中先生は、朝鮮学校の歴史を分かりやすく説明され、全国で必ずしも一貫した処遇を朝鮮学校に与えなかったことがわかった。東京都等、公立の朝鮮学校もあった時代もありながら、別の地域では同胞が自ら設置運営してきたケースもあった。1968年からは、朝鮮学校は全て各種学校と認可されているので、無償制度外はあり得ないことを理由にあげ、)民主党政権が打ち出した高等学校無償制度から朝鮮学校が除外された場合、それは差別であると強く主張された。 次の講演は、京都大学大学院の柳美佐先生による朝鮮学校でのエスノグラフィ研究についての報告でした。小学生を対象に、朝鮮学校における2言語使用教育について説明されました。通常日本語を使用している普通の在日朝鮮人の家庭から学校の教育課程に参加するとかなりの朝鮮語の習得が見られた。これは、アイデンティティの形成が共に行われているのが大きい原因である。また、他の2言語使用教育機関と同様に、二つの言語を同時に習うのはハンディキャップにはなっていないことが説明された。

二つの講演には、田中先生がマクロ在日朝鮮人の事情を紹介し、時事的な問題を投げかけ、柳さんは、ミクロに朝鮮学校の実態を描写していただいた。研究会としてバランスがとれた企画でした。ただ、疑問に残る部分もありました。田中先生は、在日朝鮮学校の実態をもっと日本の知識人に知ってもらいたいと訴えた。しかし、それを可能にするためには論点を広げる必要があると思いました。在日韓国・朝鮮人を巡る課題は日本の歴史のみで論議されていて、あまり比較的な論議がされていないという印象をもった。また、二つの概念「差別」と「国籍」についてさらに考察が必要だと思った。研究会が終了して数週間が立った。その間、一人の多文化関係学会の会員として、指摘された問題を心に留め、思いめぐらした。その理解への過程をここで分ちたいと思う。

私は、あまり在日コリアンについて知る、または勉強する機会がなかった、または、求めようとしなかった。その背景の中で、今回の高等学校授業料無償除外は、「差別だ」、「差別だ」、と叫ばれるのに対して、疑問が湧いた。どのような差別なのか、なかなかピンとこない。それが私の反応だった。それを理解するために少し「差別」を分析しようとした。大体五つの類いがそんざいするかと考えた。
(1)限られた食料、物資、雇用の供給優先順位による差別
(2)あるグループの優越感から起きる差別(知能、開発度、文明評価等)
(3)ある国が民族・人種的に純粋さを計ることによる差別
(4)国策の制度的な差別でグループによって処遇が違う
(5)あるグループは国防上危険と思われて差別する
もっとあるかもしれない。また、もしかしたら1から5まで当てはまるかもしれないが、ここでは先ず(1)と(4)に触れ、(5)は「国籍」を取り上げる時に触れる。
戦後、物の足りない苦しい時期にさらなるグループが日本社会環境を圧迫する。それが、外地からの引揚者である。その数は7百万近く帰って来て、在日アジア人の人口の2倍を及ぼした (Watt, 2009 p. 2)。彼らは、社会的に内地日本人と在日アジア人の間に居ることになった、在日アジア人は内地日本人とともに地方で暮らし、その地方性が強かった。引揚者は、その反対に、標準日本語を喋り、中央、或はコズモポリタン志向を持っていたとLori Watt (2009) が指摘する。彼らが戦後社会の価値観に良く合致して、十数年後に高度成長の波に浴びて内地日本人とほぼ同化している。これがもう一つの疑問でした。このグループの存在の歴史的な論議はなされていない。
ただ、外地に暮らしていた時、その引揚者は現地で一番高い階級にあった。我が学会員の朴仁哲さんは、旧満州の社会についてオーラルヒストリを研究されて、研究会及び大会で複数回発表なさった。彼の研究の中で、満州での政策として民族によった給料の違いがあった(e.g.朴、2007)。私が疑問に思うのが、このような政策的な差別は、果たして日本で創造されたか。又は、他の帝国から真似をしたか。なぜなら、このようなやり方は 南アフリカに似ている。例えば、インド人が大英帝国の中で労働者としてアフリカに移動した。そこで、アフリカ人とイギリス人の間に位置づけられる。モハンダス・ガンディの活動は、南アフリカでの労働運動から始まり、その成功によって後にインド独立運動を指導する (Gandhi, 1957/1993)。 このように他の国・地域の状況によって歴史上の関係性が存在するかしないか知りたい。

田中先生の講演の中で、国籍の問題を歴史的に取り上げられた。1947年に、日本憲法が発表される直前に、旧植民地出身の住民はすべて、日本国籍を喪失し、外国人登録法の下に外国人として扱われるようになった。在日コリアンの中には、韓国籍を選んだ人たちは韓国人になり、その他の人たちは無国籍者になった。1991年に、旧植民地出身者とその子孫は特別永住者との資格をもつようになった。
国籍を停止する例は、南アフリカにもあった。1948年に、国民党 (Nationalist Party) がアパルトヘード政策を本格的に始める。その長期計画について、全てのバンテウ系の黒人が国内設立される homelands いわゆる「国」の国籍を持つ。そうすれば外国人扱いにされる (Fage, 1978)。外国人だと差別し易くなる、また差別しても良いことになりえる。ただ、南アフリカの黒人も在日コリアンにとっても国籍が失われる前にも差別があった。
また、逆に外国籍であるということによって、グループメンバーがはっきりする利点もある。団結と支援がもっと可能になる。在日コリアンの場合、近年、韓国が外交レベルで、法的改善に交渉することができた。反対に、中国国内における移動労働者として働くものは農民出身者が多い。彼らは中国籍で、国民の同胞でありながら、働く都会地域には永住出来ない (Solinger, 1999)。最近、移動労働者の福祉的配慮が改善されてきたものの、都会の住民と比べて処遇が違う。さらに、グループとしてのアイデンティティが形成されていないので、団結しにくい。
たとい国籍を獲得しても人権が保証できない場合もある。これを象徴するのは、太平洋戦争時に、日系アメリカ人が強制収容された歴史である。この差別は上記にある(5)で、国防に関する危機が認識されると差別する、いわゆる身近な恐怖 the terror withinである。2001年9月11日に起きた多発テロ事件から十年たっている。当初は、アラブ系イスラム教徒が、racial profiling のような先入的犯罪者扱いを、アメリカを始め、多くの国で実施された。アメリカ軍は、アフガニスタンやイラクに侵入し、長い戦争に巻き込まれてにもかかわらずテロイズムがなかなかなくならない。また、英国等で見られるテロリストは、遠くから来た外国人ではなく、身近に住む同胞である。
9・11十周年の前日、読売新聞の英字版 The Daily Yomiuri を開くと 朝鮮学校の高等学校授業料無償除外の問題が取り上げられていた。背景は、管総理大臣が辞任する直前に、朝鮮学校の無償対象を検討するように指示した。そこでThe Daily Yomiuri は、反対する記事を載せた。新聞は朝鮮学校を、pro-Pyongyang schools と訳している。「朝鮮学校」と比べて過激的なスタンスを取った英訳である。そして、学校と朝鮮人民共和国との関係を、”closely linked” や “under the influence of” 等の表現を加え、恐怖的な印象を立てている。さらに、 朝鮮学校の高等学校授業料無償化は、共和国が拉致問題や島攻撃行為の改善を条件にしている。被害者は誰なのかと言うと、共和国ではない。被害者は在日コリアンの子どもである。柳美佐先生の講演にあったように、朝鮮学校の一貫教育から、多く学ぶところがあって、とくに2言語使用の問題に直面している日本の教育は朝鮮学校をののしる対象にしてはいけないと思う。

以上の思いめぐらしにより、ようやく田中先生が言われた差別が理解できていないことがわかった。 高等学校授業料無償除外 の問題が身近な恐怖による差別であるとたどり着いた。できれば、他の人たちには私より素早く理解することを望む。ただ、これを通して様々な関係性を研究する必要性を新たに感じた。またその関係性を研究する過程の中にぜひ視野の広い比較も含めていただきたい。

参考文献
朴仁哲(2007)。「満州国」における「五族協和」の理念と朝鮮人移民。多文化関係学会2007年度代7回年次大会抄録集(pp.78-81)。
関西共同ニュースNo53。・2010年に1991年、1965年を重ねるとー「朝鮮学校外し」「朝鮮学校除外」を評すー【定住外国人の地方参政権を実現させる日・韓・在日ネットワーク・共同代表】、 http://www17.plala.or.jp/kyodo/news53_6.html (2011-9-10)。 Fage, J. D. (1978). A history of Africa. London: Huchinson
Gandhi, M. K. (1957/1993). An autobiography: The story of my experiments with truth, (M. Desai, Trans.). Boston: Beacon Press.
Solinger, D. J. (1999). Contesting citizenship in urban China: Peasant migrants, the state, and the logic of the market. Berkeley, CA: University of California Press.
Unclear why pro-Pyongyang schools should be free. The Daily Yomiuri (September 10, 2011) p. 2.
Watt, L. (2009). When empire comes home: Repatriation and reintegration in post-war Japan. Cambridge, MA: Harvard.
文責:John E. Ingulsrud 殷約翰(明星大学)

話題提供者(2): 柳美佐 (京都大学大学院 人間・環境学研究科 博士後期課程院生)
タイトル: 「在日朝鮮学校児童の継承語習得過程-初級部3年生の二言語作文から見えてくるもの(中間報告)-」Heritage language acquisition process of the Korean ethnic schools’ students-An exploratory research on the elementary school students’ compositions in Korean and Japanese (progress report)-

柳美佐氏の発表の直前に話題提供をおこなった田中宏氏がいみじくも指摘されたように、日本の研究者の多くは、海外の研究動向を追うことには熱心であっても、日本国内のローカルな問題については必ずしも十分に関心を寄せてこなかった。その意味では、「バイリンガル教育」や「イマ―ジョン教育」に関する研究についても同様のことが見られ、中華学校や韓国・朝鮮学校に関わる研究は、これまで十分に行われてきたとは言えない。
柳氏が本話題提供において発表された在日朝鮮学校児童の継承語習得過程に関わる研究は、日本国内の最大のイマ―ジョン教育機関である朝鮮学校を真正面から取り上げたこれまでにない研究で、大変興味深いものであった。具体的には、8か月(2008年4月から11月にかけて)にわたる小学校1年生クラスでの参与観察に基づき、朝鮮語イマ―ジョン教育に関わる豊富な事象報告に加えて、継承語教育としての朝鮮語教育が持つ民族アイデンティティとの関わり、朝鮮大学校を頂点とする朝鮮学校がシステムとして新たな朝鮮語イマ―ジョン教育の指導者を養成する機関ともなっている点など、これまで取り上げられることのなかった多くの情報を提供する示唆に富む発表であった。
今回の発表は「中間報告」という形でおこなわれたので、引き続き多くの成果が期待されることから、今後の研究の進展にも注目していきたい。
文責:守﨑誠一(神戸市外国語大学)