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全国の地区別研究会のご紹介

Introduction of regional study groups in Japan

関東地区研究会

2008年度第2回 関東地区研究会報告

場所: 地下1階第一第二会議室

話題提供者(1)(第一部 研究会): 手塚千鶴子(慶應義塾大学日本語・日本文化教育センター教授)
テーマ: 「短期留学生の日本留学の光と影:日本らしい異文化交流をもとめて」

本報告では、グローバリゼーションの中で、日本のポップカルチャーに憧れを持ったり、マルチカルチュラルな人が増えるなど、訪日短期留学生に変化が生じていること、留学の動機や目的なども多様化していることが、まず指摘された。異文化交流を考えるとき、交流する主体を把握することは一義的に大切なことである。
次に、短期留学生が日本で感じるカルチャーショックや、異文化コミュニケーションギャップを乗り越えるために、授業やカウンセリングを通して支援する手塚氏の具体的手法が紹介されたが、いずれも大変興味深いものだった。最も興味深かったのは、異文化間における「怒り」の表現の違いを授業で討論するために、受講する留学生と日本人学生が描いた怒りをイメージする絵の違いである。留学生は噴火する火山を描くなど、怒りそのものをストレートに表現するが、日本人の学生は、怒りを表現するのみならず涙を描くなど、日本人の怒りには悲しみが伴うという。この指摘は大変面白く、それはなぜなのかということが大変気になった。
短期留学生は、日本での留学期間が正に短期であるが故に、第三者による異文化適応のための支援の重要性が痛感されるのだが、気づきや自己内省など、留学生の人間的成長を促しながら異文化理解や異文化コミュニケーションギャップを乗り越えさせようとするところに、手塚氏のカウンセラーとしての暖かいまなざしが感じられた。
かつて文化を盛んに取り入れる側であった日本が、今やポップカルチャーを中心に文化を発信する側となり、短期留学生にも憧れをもたれる時代になっているからこそできる国際交流があるはずであり、また、日本人と留学生が同じ教室で共に学ぶ異文化間教育などを通して、短期留学生支援の可能性を充分見出すことができるという手塚氏の思いは、現場での確かな手応えによるものなのだと実感できる報告だった。

文責: 花澤聖子(神田外語大学外国語学部中国語学科)

話題提供者(2)(第二部:ホラロジーの会): 坂井二郎(立教大学ランゲージセンター教育講師)
テーマ: 持続維持可能な社会における「お蔭様」のコミュニケーションの意義と役割

「お元気ですか。」「お蔭様で元気です。」「試験はどうでしたか。」「お蔭様で合格しました。」
上記のような挨拶言葉は日本人の口からよく聞く。ずっと根拠のない話だと思っていた。自分の「元気」はなぜ会ってもいない他人の「お陰」なのだろう。自分の努力で試験に受かったのにどうしてそれと関係のない人の「お陰」なのだろう。このように思いつつ、いままで「お陰様」という言葉の使用に抵抗してきた。坂井先生の「お陰様」コミュニケーション説を聞き、「お陰様」の深いところに含まれていた世界観が見え、暖かい気持ちを持つようになった。「お陰様」という言葉を使いたくなってきた。
私の気持ちを変えたのは坂井先生の「御蔭様」に対する解釈である。「御蔭」というのはわれわれが普段意識していない異質な存在、あるいは他者である。これは自然環境であり、近い、あるいは遠いところで同じ地球に生きている人間である。われわれの存在はこれらの存在により成り立っている。われわれの生存状態はこれらのものの存在による影響を受けている。そして普段「気付かない形で」これらの要素による恩恵を受けている。だが、人間中心主義、自己・自文化中心的見地でこの「御蔭様」のことが見えなくなっている。その結果は自然生態環境の破壊、他人の意識および多民族の文化の無視を行っている。一方通行のコミュニケーションによる「御蔭様」の精神が無自覚になっている。
というのは「御蔭様」は人間と自然、人間と人間世界の関連性を重視し、そして異質なものと他者の存在を自分の存在に意味するという精神を提唱する概念と理解してもよいであろう。冒頭の話に戻ると、他者は自分が元気でいることに何らかの理由で繋がっていると考えてよい。自分の試験の合格は見えないところで他者と関連していると考えていく。プラスなことだけではなく、マイナスなことも考えられる。ただ、「御蔭様」の発想で考えれば、プラスもマイナスもなくなるであろう。坂井先生の御蔭で「御蔭様」が大好きになってきた。「御蔭様」精神を普及すると世界は平和になるであろう。

文責: 張暁瑞(明星大学国際コミュニケーション学科)