九州大学六本松地区キャンパスにて開催
第1部:「海外で働く日本人日本語教師の文化的調整のプロセス―教育現場における異文化接触の事例を中心に―」
話題提供者:
古谷 真希氏 (九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程2年。日本語教育、異文化コミュニケーション)
本発表では、質問紙調査における事例をもとに、海外で働く日本人日本語教師と学習者の間の異文化接触上の問題点について議論されたが、それに先立ち、議論の中心となる文化的調整の概念が紹介された。文化的調整とは、異文化接触の際に問題となる概念である。従来は異文化適応という用語が用いられる場合が多いが、異文化適応には、個人の心の問題であり、自分の文化を捨てて相手の文化を受け入れれば解決される問題であるという含みがある。それに対し文化的調整は、相手とのやり取りを調整し、自文化と異文化との融合を目指すというものである。 文化的調整を行う際は、カルチャーショックと不確実性が問題となる。不確実性とは、異文化と接した際にどういう事態が起こるか分からないことで、目的に達するための手段や意図した行為から得るであろう結果を知らないことである。そして、カルチャーショックとは不確実な状態によって引き起こされるストレス反応である。これらを確認した後、海外で働く日本人日本語教師は、滞在国文科を取り入れつつも、日本人のサンプルとして自文化を保持し、学習者に提示する必要があるため、より複雑な調整過程を辿るのではないかという問題提起がなされ、3名の日本語教師から得られた事例が紹介された。 事例は、カルチャーショックの要因ごとに①教室内外のルールの違い、規範意識の違い②学習者の予想外の反応・態度③政治上の問題、の3つに分類され、学習者との具体的なやり取りに関する記述をもとに、文化的調整の過程が分析された。そこでは、学習者との共通意識を構築していくことの重要性や、教師の持つビリーフ(信念)が学習者との関係を阻害する要因となる可能性があることなどが指摘された。 発表後は、参加者による異文化接触の事例の紹介や、日本語教師に対する異文化間コミュニケーション教育への展開の可能性についての議論が行われ、日本の学校教育における教師-生徒間の問題にも示唆が与えられるのではないか、と言及された。
第2部:「日常会話」とは何か?-異文化コミュニケーションの視点から」
話題提供者:
畠山 均氏(長崎純心大学人間心理学科。対人コミュニケーション、異文化コミュニケーション、英語教育)
本発表では、主に中学校における英語教育を題材に、「日常会話」とは何か、外国語の日常会話とは「ぐらい」や「程度」という表現をつけて言えるほど簡単なものなのか、という問題提起のもと、異文化コミュニケーションの視点から「日常会話」についての再考が行われた。
まず、中学校での英語教育の位置付けとして、学習指導要領や教科書の内容などが紹介された。学習指導要領では「コミュニケーション能力」の育成が重視されており、英語で日常的な会話や簡単な情報の交換ができるような基礎的・実践的なコミュニケーション能力を養うという方針が示されているが、実際授業で使用されている教科書では構文的には難しい対話文が導入され、授業時間数と内容量・質のミスマッチから、場面ごとの決り文句を覚えるだけで単元が終わってしまうという点が指摘された。
次に、会話そのものについての説明がなされ、会話は①挨拶②日常交渉③日常会話、の3種類に分類されることが紹介された。①は言葉の意味よりそれを交わすことが重要であること、②は「郵便局での会話」「駅での会話」のように、はっきりとした目的と明確な始まりと終わりがあること、③は「友人とのおしゃべり」のように、目的がはっきりせず始まりと終わりが不明確であること、が確認された。この分類によると、一般的に市販されている英語の教材は「日常交渉」が主であることが分かる。
続いて、異文化コミュニケーションの視点から会話の3分類について説明がなされ、異文化接触をする際にもっとも誤解を引き起こす可能性が高いのは③日常会話であることが指摘された。日常会話では、文化の違いが大きく影響する。例として、話題の選択や、相手に対する質問の質・量、論理の筋道の立て方、あいづちをうつ場所・回数、沈黙に対する認識などが、文化により大きく異なると指摘された。
最後に、日常会話は日常交渉と異なり文化の影響が大きいことが再確認された。日常会話には人間関係なども関わってくる。そのため「日常会話ぐらいできれば」と言えるほど簡単なものではないにもかかわらず、現在の学習指導要領はその点を考慮していない。このことは今後の日本の英語教育に深刻な影響を及ぼすのではないかという指摘がなされた。
発表後は、活発な質疑応答が行われた。外国語の日常会話を習得することの難しさや、教師として日常交渉から日常会話に引き上げるためには何をしたらいいのか、などについて参加者自身の経験等を交えながら議論が展開された。
今回は、遠路はるばる北海道から駆けつけてくださった参加者もあり、終始なごやかなムードで研究会が進行していきました。参加人数は多くありませんでしたが、参加者の一人ひとりが十分に議論に参加することができたため、非常に充実した研究会であったように思います。
文責:古谷真希(九州大学)
九州大学六本松地区キャンパスにて開催
第1部:「海外で働く日本人日本語教師の文化的調整のプロセス―教育現場における異文化接触の事例を中心に―」
話題提供者:
古谷 真希氏 (九州大学大学院比較社会文化学府博士後期課程2年。日本語教育、異文化コミュニケーション)
本発表では、質問紙調査における事例をもとに、海外で働く日本人日本語教師と学習者の間の異文化接触上の問題点について議論されたが、それに先立ち、議論の中心となる文化的調整の概念が紹介された。文化的調整とは、異文化接触の際に問題となる概念である。従来は異文化適応という用語が用いられる場合が多いが、異文化適応には、個人の心の問題であり、自分の文化を捨てて相手の文化を受け入れれば解決される問題であるという含みがある。それに対し文化的調整は、相手とのやり取りを調整し、自文化と異文化との融合を目指すというものである。 文化的調整を行う際は、カルチャーショックと不確実性が問題となる。不確実性とは、異文化と接した際にどういう事態が起こるか分からないことで、目的に達するための手段や意図した行為から得るであろう結果を知らないことである。そして、カルチャーショックとは不確実な状態によって引き起こされるストレス反応である。これらを確認した後、海外で働く日本人日本語教師は、滞在国文科を取り入れつつも、日本人のサンプルとして自文化を保持し、学習者に提示する必要があるため、より複雑な調整過程を辿るのではないかという問題提起がなされ、3名の日本語教師から得られた事例が紹介された。 事例は、カルチャーショックの要因ごとに①教室内外のルールの違い、規範意識の違い②学習者の予想外の反応・態度③政治上の問題、の3つに分類され、学習者との具体的なやり取りに関する記述をもとに、文化的調整の過程が分析された。そこでは、学習者との共通意識を構築していくことの重要性や、教師の持つビリーフ(信念)が学習者との関係を阻害する要因となる可能性があることなどが指摘された。 発表後は、参加者による異文化接触の事例の紹介や、日本語教師に対する異文化間コミュニケーション教育への展開の可能性についての議論が行われ、日本の学校教育における教師-生徒間の問題にも示唆が与えられるのではないか、と言及された。
第2部:「日常会話」とは何か?-異文化コミュニケーションの視点から」
話題提供者:
畠山 均氏(長崎純心大学人間心理学科。対人コミュニケーション、異文化コミュニケーション、英語教育)
本発表では、主に中学校における英語教育を題材に、「日常会話」とは何か、外国語の日常会話とは「ぐらい」や「程度」という表現をつけて言えるほど簡単なものなのか、という問題提起のもと、異文化コミュニケーションの視点から「日常会話」についての再考が行われた。
まず、中学校での英語教育の位置付けとして、学習指導要領や教科書の内容などが紹介された。学習指導要領では「コミュニケーション能力」の育成が重視されており、英語で日常的な会話や簡単な情報の交換ができるような基礎的・実践的なコミュニケーション能力を養うという方針が示されているが、実際授業で使用されている教科書では構文的には難しい対話文が導入され、授業時間数と内容量・質のミスマッチから、場面ごとの決り文句を覚えるだけで単元が終わってしまうという点が指摘された。
次に、会話そのものについての説明がなされ、会話は①挨拶②日常交渉③日常会話、の3種類に分類されることが紹介された。①は言葉の意味よりそれを交わすことが重要であること、②は「郵便局での会話」「駅での会話」のように、はっきりとした目的と明確な始まりと終わりがあること、③は「友人とのおしゃべり」のように、目的がはっきりせず始まりと終わりが不明確であること、が確認された。この分類によると、一般的に市販されている英語の教材は「日常交渉」が主であることが分かる。
続いて、異文化コミュニケーションの視点から会話の3分類について説明がなされ、異文化接触をする際にもっとも誤解を引き起こす可能性が高いのは③日常会話であることが指摘された。日常会話では、文化の違いが大きく影響する。例として、話題の選択や、相手に対する質問の質・量、論理の筋道の立て方、あいづちをうつ場所・回数、沈黙に対する認識などが、文化により大きく異なると指摘された。
最後に、日常会話は日常交渉と異なり文化の影響が大きいことが再確認された。日常会話には人間関係なども関わってくる。そのため「日常会話ぐらいできれば」と言えるほど簡単なものではないにもかかわらず、現在の学習指導要領はその点を考慮していない。このことは今後の日本の英語教育に深刻な影響を及ぼすのではないかという指摘がなされた。
発表後は、活発な質疑応答が行われた。外国語の日常会話を習得することの難しさや、教師として日常交渉から日常会話に引き上げるためには何をしたらいいのか、などについて参加者自身の経験等を交えながら議論が展開された。
今回は、遠路はるばる北海道から駆けつけてくださった参加者もあり、終始なごやかなムードで研究会が進行していきました。参加人数は多くありませんでしたが、参加者の一人ひとりが十分に議論に参加することができたため、非常に充実した研究会であったように思います。
文責:古谷真希(九州大学)