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全国の地区別研究会のご紹介

Introduction of regional study groups in Japan

関西・中部地区研究会

2007年度第1回 関西地区研究会報告

関西学院大学大阪梅田キャンパス(参加者20名)

(1)「異文化から多文化へ -日本における『外国人とのコミュニケーション』
のイメージと実態―」
話題提供者:Teja Ostheider〔テーヤ・オストハイダー〕氏(近畿大学)

(2)「中国人と付き合う ― 大学交流の現場から見る -」
話題提供者:三宅亨氏(桃山学院大学)

(1) 発表は学生を対象とした意識調査のデータから始まった。「日本における外国人のなかで、どこの国の人が多いと思いますか?」(三位までの国名を回答させた)この問に対す る回答の一位は韓国・朝鮮、二位中国、三位アメリカ合衆国であった。実際にはわずか2.5%しかいないアメリカ合衆国からの人々のイメージは、実際には15%にも上るブラジ ル人や9.3%のフィリピン人のイメージよりも「多い」ことが示された。日本における「外国人とのコミュニケーション」について、そのイメージと実態のギャップが問題とし て強調された。日本で言われている「異文化コミュニケーション」=英会話、「英語第二公用語論」、「英語が使える日本人」などのスローガンが出てくる現在の日本社会のかかえる 問題点を指摘したうえで、オストハイダー氏がこれまで実施した調査データを下に、外国人と話すときに使用する言語、外国人の日本語能力に関する経験、「外国人」の象徴となり がちな西洋人に対する日本人の意識、日本語のイメージなどから一定の傾向を指摘された。
発表の後半では、外国人に対するコミュニケーション行動を左右する要因に、単に外国人の言語能力だけではなく、出身地による外見的特徴、また非外国人の経験、態度、先入 観や言語意識などのような「言語外的条件」が大きく関わっていることを指摘された。つまり、物理的また心理的な「言語外的条件」と対外国人言語行動が深いかかわりがあるこ と、それが日本人の「過剰適応」として現れていることを調査結果から示された。その中で特に問題にされたのが「第三者返答」である。つまり、日本人は話し相手であるはずの 外国人に返答するのではなく、その場にいるが本来は第三者である日本人に返答する傾向があるというものであった。
最後に氏は、異文化から多文化への展望として、外国人の出身国を問わず公平にコミュニケーションをはかれるような能力を身につけることが重要であること、また外国人に対 して使える英語能力よりも、日本語による対外国人コミュニケーション能力の育成が重要であることを指摘された。そのあとの懇談では、日本におけるコミュニケーション教育の 問題やその解決策についても積極的な意見が交わされた。今後のわれわれの課題として共有していることが確認された。
文責:中川慎二(関西学院大学)

(2) 三宅氏は、中国人との付き合いについて、歴史的なアプローチから分析をされた。1980年以来、外国教育と国際交流に携わり、20カ国あまりの大学との交流、留学生の派 遣や受け入れに関わってこられた。豊富な体験からの具体例をあげて、ユーモアをまじえ、非常にわかりやすく説明された。
中国の歴史を振り返ると、始皇帝から共産党独裁体制に至るまで、民意による政権は一度も存在していない。乱世・革命の繰り返しで庶民の生活や安全はほとんど顧みられなか った。国家・政府・支配者は庶民の生活を守らない「大統一」という中央集権のもと、庶民は、政治に関わることを避け、自衛策として、他人を安易に信用せず、自分の身は自分 で守る、集団よりは自己を優先する「一盤散砂」という個人主義という生き方を身につけてきた。一方、生き残るために、血縁や親しい友人とは助けあう、「多個朋友」「拉関係」 「走后門」という人間関係を大切にしてきた。赤の他人と、血縁や地縁で結びついた身内の間に、厚い壁を築いてきた。原理主義と現実主義という両面を兼ね備えている。中国人 との人間関係において、何よりも大切とものとされる「面子」は、表としての原理主義で、一旦「面子」(原理)がたてば、裏としての現実主義で対応するという柔軟性も持ち合わせ ている。「中国人と付き合う」場合、「まずは本音で語り合える友人関係を作りあげること」が大切である。その時には、何よりも相手の「面子」に注意することを強調された。
今後ますます必要性が高まると思われる中国人との付き合いにおいて、今回の発表では一つの枠組みが提示された。三宅氏が結びとされた「相手の文化・歴史を尊重すること」 「優劣をつけず文化の違いを楽しむこと」は、多文化間の関係性を考える際に、忘れてはならない大切な言葉をいただいたように思う。
文責:柳本麻美(桃山学院大学)